第36回【地形篇(1)】六地形――通・挂・支・隘・険・遠

『孫子の兵法』第十篇「地形篇」

はじめに

第10篇「地形篇」 は、『孫子』のなかでもっとも“地図と現場”に近い章です。ここでは軍勢が遭遇する代表的な地形を六類型に分け、それぞれで 攻め・守り・退き をどう選ぶかを示します。行軍篇で準備を整えた指揮官が、“実際に足を踏み入れた土地でどう布陣するか” を判断するためのチェックリストと言えるでしょう。


1. 地形篇 原文(冒頭・六地形の条文:省略なし)

孫子曰:

地形有通、有挂、有支、有隘、有険、有遠。
通者,先居高陽而戰則利;者,去險而近食;者,可進可退;者,守而勿攻;者,可守而難攻;者,糧足而行。
此六者,將之所知也,不知此者,不可以將也。


2. 現代語訳

孫子が言う:

「地形には 通形・挂形・支形・隘形・険形・遠形 の六つがある。

  • 通形(つうけい)──往来が容易。高くて乾いた陽地に先に布陣して戦えば有利。
  • 挂形(けいけい)──一方が険阻でもう一方が通じている。険を避け、糧秣に近い側を取れ。
  • 支形(しけい)──双方が進退しやすい。状況次第で進みも退きも選べる。
  • 隘形(あいけい)──狭隘な地。守るのは良いが、無理に攻めるな。
  • 険形(けんけい)──険峻で攻めにくい所。守りは堅いが攻勢は難しい。
  • 遠形(えんけい)──補給地から遠い。糧食を十分にしてから進軍せよ。
    これら六地形は将軍が必ず理解すべきものであり、知らぬ者は軍を率いる資格がない。」

3. 六地形の要点と判断フロー

類型目印・典型例基本方針失敗パターン
通形平坦で道が多い盆地・広野先占高陽・速戦遅参すると敵に高所を取られる
挂形片側が崖、片側が街道街道側に陣、険阻は避ける糧秣遠い側で消耗
支形両軍とも出入り自由な開口谷情勢次第で可進可退進退の判断が遅れ泥沼化
隘形峡谷・橋・城門守備専念・誘い込む狭路で無理攻め → 壊滅
険形山岳・断崖・湿地帯防御拠点に利用攻勢に出ると補給切れ
遠形長大な補給線・荒漠地事前に糧道確保兵站不足で士気崩壊

4. 行軍篇で学んだ「偵察」がここで活きる

  1. 山林・沼沢の裏を調べる → 通形か険形かを見分ける
  2. 村人の動向を観察 → 採食しやすい挂形か糧乏しい遠形かを推定
  3. 塵埃の高さ・鳥獣の驚き → 隘形や支形に潜む伏兵を早期発見

5. 典型シナリオと処方箋

シナリオ A:追撃戦で峡谷(隘形)に敵が退却

誤り:兵力差に任せて狭路突入
推奨:入口を封鎖し、側面高所を占拠して包囲。敵は糧乏・士気低下 → 降伏 or 出撃時を奇正で撃破

シナリオ B:補給線が長い遠形での長駐

誤り:その場で決戦を挑まず時間を引き延ばす
推奨:速戦 or 路線変更して挂形へ誘導。補給線を短縮し兵站負担を減らす


6. 現代への応用

地形篇の教訓ビジネス翻訳例
通形:先占高所伸びる市場で先にブランド確立、SEO 上位を早取り
隘形:守備有利ニッチ領域でシェア 1 位を固守、価格競争には乗らない
遠形:兵站に注意海外遠隔拠点は先に現地パートナーと物流網を敷く

7. まとめと次回予告

  • 六地形 を知らずして布陣すると、形・勢・虚実の技が活かせない
  • 行軍篇の偵察フェーズで 「いま自軍はどの地形にいるのか」 を即答できる体制が必須
  • 次回 第37回【地形篇(2)】 では、六地形それぞれの 攻守交替と奇正運用、および 水・火計との連携 を具体例で深掘りします。

あとがき

地形篇はしばしば「古代の地理論」と見なされがちですが、実際は “環境条件を読み、勝てる場所で戦う” という普遍原理の集大成です。現代の市場分析・ロジ計画に置き換えて読んでみると、孫子がなぜ 「地形を知らぬ者は将たるに足らず」 と言い切ったかが腑に落ちるはずです。

次回もどうぞお楽しみに。

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