第22回【勢篇(2)】奇正とリズム――“勢”を最大化する攻守の切り替え

『孫子の兵法』第五篇「勢篇」

はじめに

勢篇では、“形”が土台となった上で、攻撃を決定づけるエネルギーの集中タイミング(節)をどのように作り出すかが論じられます。前回は勢篇の冒頭で「勢は形によって立ち、形が整えば勢は自然に生じる」と学びました。
今回【勢篇(2)】は、その続きとして、実際に奇と正をどう使い分け、どのようにリズムを作れば最小限の力で大きな破壊力を発揮できるのか
――勢篇後半の記述を読みながら理解を深めます。


勢篇 原文(省略なし:後半)

以下、宋・明系統の通行本を参照し、句読点・改行を施した勢篇後半部分です。バージョンにより文や注解の順序に若干の差異がありますが、内容的には勢篇の主要論点を含む形となります。

孫子曰:

凡戰者,以正合,以奇勝。
善用奇者,無窮如天地,不竭如江河。

奇正轉化,如環無端;
或顯或隱,或分或合,以誘敵之形,以造我之勢。

勢者,形之所加也;形者,勢之所依也。

善勢者,使敵自疲,而我安;
使敵奔波,而我定。

故能舉千鈞,若提鷃羽;能折堅城,若觸朽木。

是謂勢篇之要也。

(訳注:最後の1~2行は版本によっては勢篇の結びとして置かれたり、次章の冒頭に挿入されたりします。)


現代語訳

孫子が言う:

「そもそも戦いというものは、正攻法で相手と合い、奇策によって勝つのが基本である。
奇を使いこなす者は、天地のごとく果てしなく、江河の流れのように尽きることがない。

奇正は絶えず転化し合い、輪のように終わりがない。
時にそれを現し、時に隠し、時に分かれ、時に合わさる――こうして敵の態勢を乱し、こちらの勢を作り上げる。

つまり、“勢”とは“形”にさらに力が加わったものだし、“形”は“勢”を支える基盤だ。

勢いを上手く使う者は、敵が疲れ果てるよう仕向け、自軍は安定を保ち;
敵が必死に奔走する間も、こちらは落ち着いて待機できる。

それゆえ、千鈞(重い物)を持ち上げるのが、まるで軽い羽を提げるかのようになり、堅固な城を崩すのが、朽ち木を突くように容易になるのだ。

これが“勢篇”の要点である。」


解説

(1) 「以正合,以奇勝」――奇正の絶妙な組み合わせ

**正(正攻法)奇(意表を突く策略)**は、『孫子』を貫く重要な軸です。勢篇においては、正で相手の注意を引きつつ、奇で勝負を決定づけるという使い分けが、勢い(勢)を最大化する鍵とされます。

  • 正で相手を固定化させ、奇で崩す → 攻撃の破壊力を集中できる
  • 両者を絶えず転化させ、パターン化を避ける

(2) 「奇正轉化,如環無端」

奇と正は固定的なものではなく、状況によって常に変わり続けると孫子は言います。

  • 同じ戦術でも、タイミングや偽装によって「正」が「奇」に化したり、その逆もあり得る
  • 一度「これは奇策だ」とバレれば、それはもはや奇策ではなくなる → 常に工夫し続ける必要がある

(3) “勢”とは“形”を乗りこなすエネルギー

勢篇後半でも、勢と形の相互依存が強調されます。

  • 形(けい): 不敗の態勢、守りの基盤 → 攻めへの準備
  • 勢(せい): 攻撃時の強烈な加速度・リズム → 短い時間で相手を圧倒
    相手の動きを乱しつつ、自軍の攻撃を一点集中させることで、少ない労力で大きな戦果を得るのが孫子の理想です。

(4) 「敵は疲れ、我は安」――心理と環境の操作

勢いをうまく使う指揮官は、敵軍が多大な動きを強いられる状況を作る(補給や陣形を何度も変えさせる、陽動作戦など)。一方、自軍は堅実な立ち位置を保ち、余力を温存。

  • 敵が疲弊し、集中力が落ちた瞬間に一気に攻める → 小兵力でも大戦果を上げる
  • これが「形」が基盤を守り、「勢」が一瞬にして勝利をもたらすアプローチ

(5) 「千鈞が羽のよう、堅城が朽ち木のよう」

孫子の比喩によれば、を活かせれば、どんなに大きな障害も容易に突破できる。

  • これは決して誇張ではなく、実際に奇正とリズムを織り交ぜた集中攻撃で、短期間に城や陣地が陥落する事例は古今の戦史に多い
  • 逆に、どれほど装備や人数が多くても、「勢」がない軍は消耗戦や長期戦に陥りがち

形篇と勢篇の相乗効果

  1. 形篇(守りの安定): 敵に攻めさせても崩れず、自軍が大きく動いてもリスクが少ない
  2. 勢篇(攻めの爆発): 相手が戸惑い疲弊している間に、一瞬の集中で決定打を与える
  3. 奇正の融通: 正面攻撃(正)で相手を牽制しつつ、奇策で背後や側面を突く → 相手は対処が追いつかない

5. 現代への応用ヒント

  1. 企業戦略での集中攻撃
    • 形: 安定した財務や基盤技術
    • 勢: 新商品やキャンペーンを短期集中で展開 → 他社が対応する前にシェア拡大
    • 奇正: 正面で大々的に広告しつつ、実際には別路線の製品を同時リリースして出し抜くなど
  2. プロジェクトのピークを短く強くする
    • 形: 周到なスケジュールとリソース管理でリスクを減らす
    • 勢: 発表直前にチームの稼働を一気に上げ、短時間でインパクトを最大化
    • 敵(競合)は対応の猶予を与えられず、疲弊する可能性大
  3. マーケティングで“奇正”を組み合わせる
    • 正: 通常のセールス手法で市場に浸透
    • 奇: SNSやイベントで意表を突く企画 → 大きな話題性を短期で作り出す
    • 相手が対抗策を用意する前に勢を固め、シェアを奪う

6. まとめ

【勢篇(2)】として、後半の文献から“正合、奇勝”や“敵自疲、我安”といった要素を整理しました。勢篇の要旨は、形篇で築いた守備の安定をベースに、攻撃時に一気にエネルギーを集中して圧倒することです。そのために奇策と定石(正)の両輪**を絶えず転換させ、相手の対応を狂わせる手法が有効だと孫子は強調します。

次回【第23回】では、勢篇の総括を行いながら、「形篇×勢篇」の統合的な兵法観をさらに深めます。奇正の活用例や、攻守の切り替えをどう実務に応用するか――そこまで押さえることで、孫子兵法の“攻守一体”の真髄がより鮮明になるはずです。どうぞお楽しみに。


あとがき

  • 奇正の継続的転換
    勢篇では、奇と正が固定的でなく、常に変化し続けることが強調されます。現代でも、企業戦略を一度成功させても、すぐ真似されれば奇策でなくなるという事態が起きるため、継続的なイノベーションが必要です。
  • “勢”を失わない工夫
    軍が勢いに乗ったときは強いですが、勢が途切れると一気に失速しかねません。孫子は形篇の守備基盤があれば、勢が切れても崩壊しないと考えます。つまり、攻勢が終わっても不敗の形が維持される という仕組みが理想なのです。
  • 次の展開
    勢篇の総括では、形篇と勢篇をまとめた“攻守一体”の視点が語られます。その後は続く虚実篇や軍争篇に入っていく流れですが、この“形”と“勢”こそ孫子兵法の核となる概念といえるでしょう。

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