はじめに
計篇・作戦篇で孫子は、戦争に伴うリスクやコストを徹底的に抑え、短期間で終わらせることを説いてきました。謀攻篇は、さらに次のステップとして、そもそも“戦う”という手段を可能な限り減らす――つまり「戦わずして勝つ」方法を模索します。
「攻城は下策である」との言葉が示すように、謀攻篇ではより高度な情報戦・心理戦・外交戦を駆使して、敵軍・敵国を実質的に破ることが強調されます。今回はその冒頭部分を省略なしで掲載し、解説していきましょう。
謀攻篇 原文(省略なし)冒頭
以下、宋・明系統の通行本をベースとした謀攻篇の冒頭部分を、適宜句読点・改行を付した形で掲載します。
(※バージョンにより文の区切りや一部文言の異同がある点、ご了承ください。)
孫子曰:
上兵伐謀,其次伐交,其次伐兵,其下攻城。
攻城之法,為不得已。
修櫓轒轀,具器械,三月而後成,距闉又三月而後已。
將不勝其忿,而蟻附之,殺士卒三分之一,而城不拔者,此攻之災也。故善用兵者,“屈人之兵,而非戰也;拔人之城,而非攻也;毀人之國,而非久也。”
必以全爭於天下,故兵不頓,而利可全。是謂用謀之法也。
現代語訳
孫子が言う:
「兵法において最上の戦い方は、まず敵の謀(はかりごと)を破ることである。その次は、敵の外交関係(同盟や交渉)を破ること。その次が、敵の軍を打ち破ることで、最も下策なのが城攻めである。
そもそも城攻めというのは、やむを得ない場合にしか行うべきではない。
城を攻めるには、櫓(やぐら)や轒轀(ふんうん)などの包囲器具を整備するのに3か月が必要で、さらに城壁を攻め落とすには追加の3か月を要する。
将軍が怒りを抑えきれず、蟻のように(兵士を)城壁に殺到させた結果、兵の3割が失われても城が落ちないこともある――これが城攻めの災いなのだ。よって、兵をうまく使う者は、“敵軍を屈伏させるのに戦わず、敵の城を落とすのに攻撃をせず、敵国を破るのに長期戦をしない”。
つまり、敵をまるごと手に入れ、兵力を消耗させず利益を維持する――これが天下で争ううえで最も理想的な形である。
これを“用謀”の法と言うのだ。」
解説
(1) “上兵伐謀,其次伐交,其次伐兵,其下攻城”
謀攻篇で最も有名なフレーズの一つがこれです。
- 最上策: 敵の謀(情報・戦略・意図)を崩す → そもそも戦力を発揮させない
- 次: 敵の同盟関係・外交網を崩して孤立させる
- 次: 実際に戦って軍隊を破る
- 下策: 城攻めをする(コストと犠牲が大きい)
孫子は、「勝ちやすい状況を作り、戦わずして勝つ」ことを最上とし、最も犠牲の大きい城攻めは“やむを得ない最終手段”と位置づけています。
(2) 城攻めのデメリット――“攻城之災”
城攻めは、長い時間と膨大な人的・物的コストがかかる上、陥落しないまま兵が消耗するリスクが大です。
- 包囲器具の準備や塹壕(ざんごう)掘りなどに数か月
- 衝動的に攻め立てても、大きな犠牲が出て突破できない場合がある
孫子がこのような悲惨な状況を“攻城之災”と呼ぶのは、作戦篇で学んだ「コスト意識」「時間をかけるリスク」の延長上にあります。
(3) “屈人之兵,而非戰也;拔人之城,而非攻也;毀人之國,而非久也”
ここで孫子は、戦わずして敵を屈服させる理想を明確に提示します。
- 非戰: 軍事的衝突を最小化する
- 非攻: 城を直接攻撃せずに落とす(同盟切り崩し・食糧封鎖・心理戦など)
- 非久: 長期戦を避ける
これは計篇や作戦篇でも繰り返し説かれた“短期決戦”や“詭道”の理念を、外交・謀略・心理戦のレベルに拡張したものです。
(4) 用謀之法
謀攻篇の題名どおり、謀(はかりごと)をどう使うかが核となります。敵国の戦力や内部状況、同盟関係などを巧みに操作・誘導し、実際の戦闘をなるべく行わずに勝利を得る――まさに“戦わずして勝つ”の極意がここに示されているわけです。
短期決戦から謀略戦へ――作戦篇とのつながり
前回までの作戦篇では、実際に戦うなら速やかに終わらせる重要性が強調されました。
- 戦争そのものを起こすなら、コストを最小化し、短期間で片付ける
- 謀攻篇はさらに踏み込んで、「そもそも戦わない」という理想へのアプローチを示す
これは、孫子の兵法が**「最悪の場合に戦うが、極力それを回避する」**という、階層的な戦い方を想定していることを表しています。
現代への応用ヒント
- 競合との争いを最小化する戦略
- 価格競争や訴訟合戦という“消耗戦”を避け、情報や提携などで相手を崩す
- 例:特許クロスライセンスや業界団体の交渉などで相手の強みを封じる
- 市場・顧客心理を制する“謀略”
- 直接的な広告・プロモーション合戦(=正面衝突)をやめて、SNS戦略やリリース時期操作、PR仕掛けなど、相手を翻弄する手段を検討する
- 競合の協力者(同盟先)をうまく引き離す(=“伐交”)ことで、相手を孤立させる
- 最もコストのかかる手段は最後の手
- 謀攻篇での“下策=攻城”に対応するものとして、企業の場合は“価格を大幅に下げる体力勝負”や“訴訟で長引く闘い”などが挙げられる
- なるべく他の手立てで競争に勝ち、最悪の手段は避ける
まとめ
【謀攻篇(1)】として、冒頭部分を省略なしで見てきました。孫子が強調するのは、「兵力を用いる前に勝負を決める」 という発想です。最上策は敵の謀を破り、次に同盟・外交を崩し、それでもダメなら軍事的に叩く。そして最も避けるべきは城攻め――時間と労力がかかる割に犠牲が大きい、という点です。
次回【謀攻篇(2)】では、この謀攻篇の続き(原文後半)を読み解き、情報戦・外交戦の具体的な考え方や、将軍と君主の役割分担など、より実践的な内容に踏み込みます。どうぞお楽しみに。
あとがき
- “戦わずして勝つ”=最上の戦略
孫子兵法の代名詞ともいわれるフレーズが、まさに謀攻篇で本格的に展開されます。実際には難しい理想論とも思えますが、情報・外交・心理面の活用を徹底することで実現可能性を高めるのが孫子の真骨頂です。 - 短期決戦と無血勝利
作戦篇での「短期決戦は国益を守るため」という論点と、謀攻篇での「できれば戦わない」思考は、一見似ていて少し違うアプローチを表します。両方とも、無用な消耗と流血を回避するという孫子の慈悲や合理主義を体現しているとも捉えられます。
コメント