第24回【虚実篇(1)】“虚”を突き“実”を避ける――奇正を深化する戦略

『孫子の兵法』第六篇「虚実篇」

はじめに

計篇・作戦篇・謀攻篇・形篇・勢篇と学んできたように、孫子は「戦う前に勝つ道筋を作る」ことを一貫して重視してきました。虚実篇は、さらにその戦術面を深め、敵の弱点(虚)を突き、自軍が不利な地点(実)を回避することで最小限の消耗で最大効果を得る方法を論じます。これは前章・勢篇の「奇と正」概念とも緊密に関連し、相手の虚を巧みに作り出しつつ、自軍は“実”を保ち続ける考え方につながっていきます。


虚実篇 原文(省略なし:冒頭部)

以下、宋・明系統の通行本をベースとし、句読点・改行を付して「虚実篇」冒頭の文を掲載しています。バージョンによって細かな差異がある点はご了承ください。

孫子曰:

凡先處戰地而待敵者佚,後處戰地而趨戰者勞;
故善戰者,致人而不致於人。

能使敵自至者,利之也;能使敵不得至者,害之也。
能使敵趨前者,以利誘之;能使敵不得進者,以害逆之。

故善動敵者,形之;善使敵者,利之。

虛實之計,在於察其欲,逆其不備;
彼雖多力,而用之不得;
我雖寡眾,而取之不讓。

是謂“善用虛實”。


2. 現代語訳

孫子が言う:

「まず、戦場を先に占領して敵を待つ方は楽であり、遅れて戦場に駆けつける側は疲弊する。
だから、戦いの上手い者は、自分が主導権を握り、相手を動かす一方で、自分は相手に振り回されないようにするのだ。

敵をこちらの有利な場所へ誘い込むには“利”を見せる(エサをちらつかせる)と良いし、
敵が来てほしくない場所へは“害”を示して(危険を強調して)近づけさせない。

よって、敵をよく動かせる者は“形”を作り出し、敵にとって魅力や恐れを与える。
うまく活用すれば、相手をこちらの思惑どおりに動かせるだろう。

“虚と実”を使いこなす要諦は、相手の欲求や警戒心を見極め、不意を突くことにある。
敵が多勢でも、その力を発揮できないよう仕向ければよく、
こちらが少勢でも、相手の隙をつけば問題なく打ち勝てる。

これを“善く虚実を用いる”と言うのだ。」


解説

(1) 先に戦場を押さえ、自分は楽、敵を疲れさせる

冒頭の**「先処戰地而待敵者佚,後處戰地而趨戰者勞」**は、孫子の“先手必勝”思想の一端です。

  • 戦場を先に占領して態勢を整えた自軍は“佚”(楽)
  • 後から駆けつけた敵軍は“勞”(疲弊)
    これが、形篇や勢篇で学んだ「先に不敗の地を築く」「主導権を握る」精神の具体化と言えます。

(2) 「善戰者,致人而不致於人」

  • “致人”: 相手を誘導する
  • “不致於人”: 自分が相手にコントロールされない
    孫子が強調するのは、戦いをこちらのペースで進め、相手を動かすこと。これは作戦篇で説かれた「相手が疲れるように仕向け、自軍は楽する」流れとも響き合います。

(3) “利”で誘い、“害”で阻む

敵をある地点に誘導したければ、**利(利益・誘惑)**を提示し、嫌なところから遠ざけたければ、**害(リスク・危険)**を示す。この「利害」を上手に操作することで、相手が勝手に動いてしまう状況を作り出せるというのが虚実篇の大きな着想です。

  • “相手の欲”を理解すれば、あえてその欲を満たすように偽装し、誘導する
  • “相手の恐れ”を察知すれば、そこを煽って近づけさせない

(4) “虚実之計”で少勢でも大軍を崩す

「相手が大軍でも、それを活かせないように仕向ける」という発想は、計篇・形篇にも通じるものです。

  • 相手の戦力が空回りする(“実”を活かせない)状況を作るのが虚実の妙
  • こちらが弱小でも、虚を突き、相手の実(強み)を避ければ勝機を得られる

形・勢・虚実の連動

(1) 形篇:不敗の形 → 勢篇:攻撃加速 → 虚実篇:敵を巧みに誘導

  • 形篇・勢篇では、自軍の態勢づくりと一瞬の攻勢に焦点が当たりました
  • 虚実篇はさらに、敵軍をどう動かすかという“誘導”レベルに踏み込む
    • “利”で敵を呼び込み、罠にはめる
    • “害”で遠ざけたい場所から相手を離れさせる

(2) “虚を突く”=相手が脆いところを攻め、“実”を避ける

  • 形で守り、勢で攻勢をかける際にも、**“相手の弱点”**こそ主目標
  • もし敵が強固な陣形(実)を敷いていれば、そこを正面から突かず、回り道をして敵の虚を探す
  • 虚実篇はこの“弱点・盲点を突いて無駄な消耗を減らす”という孫子の合理主義をさらに具体化する章になる

現代への応用ヒント

  1. ユーザーの行動誘導(マーケティング)
    • “利”=割引・特典・新機能の魅力など → 顧客を特定ページや商品に誘導
    • “害”=競合製品のリスクやデメリットを強調 → 顧客がそちらへ流れないようにする
    • こうして意図する行動を起こさせるのは、虚実の計に通じる
  2. 競合の強みを空回りさせる
    • 相手の“実”を正面から受け止めるのではなく、分野の違う土俵に引きずり込む
    • 例:巨大企業が得意とする価格競争を避け、デザインやサービス面で差別化 → 相手の価格優位が活かせない
  3. プロジェクト管理:チームを疲弊させない仕組み
    • “先処戰地而待敵者佚” → プロジェクトでは、先に開発環境やリソースを準備し、メンバーが余裕を持って取り組めるようにする
    • 逆に後手に回ると、“勞”の状態が長引き、クオリティが下がる

まとめ

【虚実篇(1)】として、虚実篇の冒頭を省略なしで見てきました。ここでは、

  • 相手を誘導する“利害”の活用
  • 自軍は先手を取り、相手は後手に回す → “佚” vs. “勞”
  • 弱点(虚)を突き、相手の強み(実)は避ける
  • 形×勢を踏まえた上で、敵軍を操る

という、新たな観点が提示されます。勢篇が攻撃のエネルギー集中を論じたのに対し、虚実篇は相手の意図や心理をどのように操作するか、さらに踏み込んだ部分を扱っているわけです。

次回【第25回】は、虚実篇の後半を読み進め、この“虚と実”の使い分けが具体的にどう展開されるのかを解説していきます。敵の要害を回避し、弱点を突く思考法は、現代ビジネスや交渉術にも大きな示唆を与えてくれるはずです。どうぞお楽しみに。


あとがき

  • “佚”と“勞”
    虚実篇冒頭にある、先に戦場を押さえた側が“佚”で、後から駆けつける側が“勞”になるという考え方は、孫子兵法全般に通じる“先手必勝”の発想。虚実篇ではさらに、“どうやって敵を誘導して後手に回させるか”を具体的に掘り下げます。
  • 形・勢・虚実の三本柱
    形篇での“不敗”、勢篇での“攻撃力”、そして虚実篇での“敵を動かす”――この三つを組み合わせることで、孫子の言う“戦わずして勝つ”道がより明確に見えてきます。
  • 応用面
    競合他社が得意とする領域には近づかず、相手が弱い部分に向かわせるように誘導する。これはマーケティングや政策立案でも有効な戦略でしょう。ビジネスだけでなく、人間関係や交渉全般にも応用可能な考え方です。

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