第11回【計篇(6)】計篇の総括――総合的な戦略思考の起点

『孫子の兵法』第一篇「計篇」

はじめに

「計篇」は『孫子』の冒頭に位置する篇(へん)でありながら、全13篇の根幹とも言われる重要な内容を含んでいます。ここでは、“兵は国家の死活問題” という厳粛な宣言から始まり、五事・七計 といった基礎理論、さらに “兵は詭道なり” の概念や “多算勝” の徹底した事前分析思想が繰り返し強調されてきました。

今回【計篇(6)】では、これまで5回にわたって解説してきた計篇の要点を総括するとともに、次の「作戦篇」への展望を述べます。計篇のエッセンスが見えてくると、『孫子』全体の流れを理解する大きな足がかりとなるはずです。


計篇の核心メッセージ

(1) 兵は国家の大事――「不可不察也」

計篇冒頭の「兵者,國之大事,死生之地,存亡之道,不可不察也」は、『孫子』全篇を貫く厳粛な姿勢を示します。単なる武芸や戦いのコツではなく、国家の存亡を左右する重大事としての戦争を捉える点が、他の思想書と大きく異なるところです。

(2) 五事・七計――戦いを分析するフレームワーク

  • 五事:道・天・地・将・法
  • 七計:これらをより具体的に比較・検討する観点(主孰有道・將孰有能…など)

この2つの視点が、計篇を読む上での基本的枠組みとなります。孫子は、戦う前にあらゆる要素を事前にチェックし、勝てるかどうかを判断せよ と繰り返し主張します。

(3) “兵は詭道なり”――正攻法だけではない戦い方

「詭道」は、組織同士の真剣勝負を、なるべく安く(低リスクで)勝ち切るための “騙し合い・誘導” のテクニックを指す言葉です。正攻法の衝突だけが兵法ではなく、情報戦・心理戦・偽装戦術など、幅広いアプローチを認める孫子のリアリズムが示されています。

(4) 多算勝・少算不勝――勝敗を事前にほぼ決める

計篇後半で強調される「多算勝,少算不勝,而況於無算乎?」は、事前の計算(分析)こそが勝敗を決める という孫子兵法の核です。

  • 「廟算」(開戦前の戦略立案)で十分な情報と比較検討を行った結果、すでに勝ち筋を固めてから戦う
  • もし勝算が薄いならば戦わずに回避する

こうした「合理的戦争観」が、計篇の底流にあります。


計篇全体からの学び

(1) 戦いの本質は“準備と計画”にある

孫子は「勝ちやすい状態を作り上げる」ことを至上命題とし、そのために 分析力・リーダーシップ・情報活用 が欠かせないと説きました。
現代でも、事業やプロジェクトを始動する際、優れた“計画と準備”があれば成功率が高まり、競合に先んじた戦略的アクションを起こしやすくなります。

(2) リーダーの資質と組織マネジメント

計篇では「智・信・仁・勇・厳」の五つを、将軍(リーダー)に必須の資質として挙げています。同時に、「行之以誅罰,而不論其能,則士不親…」といった文言で、処罰や評価のバランスがリーダーシップにどれほど影響するかも示唆されます。

  • 部下への思いやり(仁)と厳格な規律(厳)
  • 誠実な態度(信)と柔軟な知恵(智)
  • そして必要時の決断力・実行力(勇)

それらが組み合わさって初めて、戦い(あるいはプロジェクト)に勝てる組織を作れるわけです。

(3) 騙し合いと信用――両立のジレンマ

“兵は詭道なり”による外部(敵)への心理戦と、内部(味方)への信用維持は、しばしば相反する要素を含みます。どこまでが正当な戦略か、どこからが裏切りか――古今東西のリーダーが悩む問題です。
計篇が示すのは、「自軍(組織)の結束を守りつつ、敵に対しては巧みに情報を操作する」 という二面性。これは現代経営においても、「社内に対しては透明性を高め、対競合にはフェイントを駆使する」などの形で応用可能といえます。


他篇へのブリッジ:作戦篇との関連

計篇で示された事前分析の重要性や、詭道(騙し合い)といった概念は、次の「作戦篇」以降、さらに具体的な局面へ展開されます。

  • 作戦篇: 兵站(補給)や短期決戦のメリットを論じ、長期戦のリスクを説く
  • 謀攻篇: 「城攻めは下策、戦わずして勝つ」が理想とする戦略論
  • 形篇・勢篇: 勝利の態勢(形)と勢い(勢)をどう作るかをさらに深める

このように、『孫子』は全13篇が相互に関連し合う構成になっています。計篇で得た「勝算の見極め」「組織のマネジメント」「詭道の基礎知識」は、各篇で登場する具体的な作戦論を理解する上で欠かせない前提条件となるでしょう。


現代への応用ポイントの再確認

  1. 事前準備と情報分析
    • プロジェクト・事業立ち上げで多角的なデータを収集し、勝ち筋を確保したうえで動く。
    • 十分なリサーチをせずに突っ込むと、孫子が言う「無算」に近い状況となり、失敗確率が跳ね上がる。
  2. リーダーシップの総合力
    • 人を動かすには“信”や“仁”が必要だが、規律を保つ“厳”、時に非情な決断を下す“勇”も不可欠。
    • 組織内での公平な処遇と、組織外(競合)への戦略的な情報コントロールを両立させる。
  3. 騙し合いのポジティブ活用
    • 正面衝突を避けて相手の心理や認知を操作し、衝突を最小化する可能性。
    • 一方、過剰な欺瞞は長期的信用を損ないかねないため、業種や目的を見極める必要がある。

まとめ

計篇は、13篇のうち最初に置かれ、“総論”というべき内容が凝縮された重要パートでした。

  • 「兵は国家の大事」→ 戦争(あるいは大規模競争)が国全体の命運を握る重大事である
  • 「五事・七計」→ 内外の要素を網羅的にチェックし、勝敗を“未戦にして”見極める
  • 「兵は詭道なり」→ 正攻法だけではない、相手を誘導し、無駄な消耗を減らす戦略
  • 「多算勝、少算不勝」→ 情報分析と計画づくりの徹底こそ、成功の土台

これらのエッセンスが、今後の各篇(作戦篇・謀攻篇・形篇・勢篇…)でより具体的に展開されていきます。
次回から始まる「作戦篇」は、兵站・補給を中心に「速戦の意義」や「国力を疲弊させない戦い方」を説く内容へと移行します。計篇で築いた基礎知識を活かしながら、また新たな視点を加えて読み解いていきましょう。


あとがき

  • 計篇をしっかり理解する意義
    多くの解説書でも、計篇は孫子兵法の肝と位置づけられています。ここをおろそかにすると、その後の具体的作戦論(地形篇・用間篇など)もピンと来づらいでしょう。
  • 連載の次なるステージ
    計篇の総括を終えたら、いよいよ 「作戦篇(1)」 へと進みます。作戦篇は、現代の経営論で言えば「コスト管理」「補給線の整備」といったテーマに近く、非常に具体的かつ実務的な兵法論が展開されます。どうぞご期待ください。

以上で【計篇(6)】、つまり計篇の最終回となる総括を終えます。ここまで計篇をじっくり学んだ皆さんは、きっと『孫子』の基本コンセプトを一通り理解できたはず。次回からは新たな篇へと進み、『孫子』の戦略世界をさらに深く探求していきましょう。

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