第46回【用間篇(1)】先知と五間――情報は“人”からしか来ない

『孫子の兵法』第十三篇「用間篇」

1. 原文(省略なし:前半)

孫子曰:

凡興師十萬,出征千里,百姓之費,公家之奉,日費千金;內外騷動,怠於道路,不得操事者,七十萬家。
相守數年,以爭一日之勝,而愛百金之賞,不知敵之情者,不仁之至也;非人之將也;非主之佐也;非勝之主也。
故明君賢將,所以動而勝人,成功出於眾者,先知也。
先知者,不可取於鬼神,不可象於事,不可驗於度;必取於人,知敵之情者也

用間有五:有鄉間,有內間,有反間,有死間,有生間
五間俱起,莫知其道,是謂神紀;人君之寶也。

鄉間者,因其鄉人而用之;
內間者,因其官人而用之;
反間者,因其敵間而用之;
死間者,為誑事於外,使我之間知之,而傳於敵間也;
生間者,反報也。

故三軍之事,莫親於間賞莫厚於間事莫密於間
非聖智不能用間,非仁義不能使間,非微妙不能得間之實。
微哉微哉!無所不間。
間事未發而先聞者,間與所告者皆死。


2. 現代語訳

孫子が言う:

十万の軍勢を動かして千里の遠征をすれば、1日に千金の費用がかかり、内外は騒がしく、道路は滞り、仕事につけなくなる者は七十万戸にも及ぶ。
何年もにらみ合い、たった一日の勝敗を争うというのに、わずか百金の賞を惜しみ、敵情を知らないのは、最も不仁である。そういう者は将の器ではなく主君の補佐でもなく勝利をもたらす主でもない

明君と賢将が動いて勝てるのは、成功が大勢の力から生まれるのは、事前の知(先知)があるからだ。
この先知は、神がかりでも験担ぎ
でも計算だけでも得られない。人から取る――敵情を知る人から得るのである。

それゆえ間者(スパイ)には五種類ある。
郷里の者を用いる者(鄉間)敵の官吏を用いる者(內間)敵の間者を反転させて用いる者(反間)虚偽の情報を外に流して敵に掴ませる者(死間)帰還して報告する者(生間)
この五種を同時に動かし、道筋を悟らせない。これを“神紀”といい、君主の宝である。

だから軍事においては、間ほど親密に扱うべきものはない報奨はもっとも厚く機密はもっとも厳しくせよ。
聖智でなければ使いこなせず、仁義がなければ人は動かず、**微妙(繊細)**でなければ実(じつ)は取れない。
ああ、細やかで難しい!――用間は、用いざるところが無い。
そして、機密が漏れて事が起こる前に知られたなら間者と漏らした者は共に処刑である。


3. 解説――「先知」と「五間」を運用する視点

(1) 先知=結果を出す前に、不確実性を減らす

  • 孫子は、戦争が膨大な固定費と社会的コストを伴う事実から出発します。
  • だからこそ、戦う前に勝敗を傾ける“先知”が要る。しかもそれは神頼みでも、机上計算だけでもない――人から得る一次情報だ、と断言します。

(2) 五間の定義と位置づけ

  • 鄉間:現地住民・地域ネットワークの活用(地の利・風聞・物価・民心)。
  • 內間:敵の内部(官僚・軍務・物流)にアクセスする人材。
  • 反間敵が送り込んだ間者を“反転”させて味方化。用間篇の肝で、次回で詳述。
  • 死間偽情報の運び役。生還を前提としない「囮」で、敵の判断を誤らせる。
  • 生間帰還して報告するフィールド・エージェント。
    五者は分業ではなく“重奏”。互いの情報で互いを補強し、全体像(神紀)を構築します。

(3) 「三つの最上位」――親密・厚賞・秘匿

  • モチベーション設計(厚賞)セキュリティ設計(秘匿)は一体。
  • “未発而先聞”は最悪――リークは作戦そのものを殺します。漏えい源を断つ厳格性もまた仁義(約束と保護)あってこそ。

(4) 倫理(仁義)と能力(聖智・微妙)

  • 孫子の凄みは、情報活動に倫理を求めるところ。仁義がなければ人は動かない――裏切られた協力者を守り、適正に報いる“信”が前提です。
  • 同時に、“微妙”(緻密さ・さじ加減)がなければ誤情報・過剰な作戦に自滅します。

4. 使い方の骨子:五間を“重奏”で回す

  1. 鄉間地形・物価・風聞を拾い、
  2. 內間制度・手続・倉庫の鍵を特定し、
  3. 反間で敵の“嘘の起点”を握って、
  4. 死間敵判断を誘導し、
  5. 生間事後検証(BDA)を戻す。
    → こうして前提(先知)→作戦→検証
    のループが完成します。

5. 現代への応用(合法・倫理前提)

  • 市場インテリジェンスの五層
    • 鄉間現地ユーザー/小売の声(VoC・価格・在庫)
    • 內間業界の内部実務(調達手順・標準契約)
    • 反間競合の“対外メッセージ”を分析・矛盾抽出(OSINT・広告出稿・求人票)
    • 死間“誤解を誘う”のではなく、競合の思い込みを崩す合法的PR(表現の真実性は死守)
    • 生間PoC/βテストの定量・定性レポート
  • 厚賞と秘匿:社内の通報・提案制度即時フィードバック+適正報酬、情報の権限管理を明確化。
  • “未発而先聞”を防ぐ:NDAとNeed‑to‑Know、発表日までのメディア計画を一本化。

※本連載の応用編は法令遵守・倫理順守が大前提です。不正アクセスや個人侵害にあたる行為は厳禁です。


6. チェックリスト(先知・五間の初動)

  1. 目的:何を知れば意思決定が変わるのか(“知るべき問い”の特定)
  2. カバレッジ:鄉・內・反・死・生のどこが弱いか
  3. 厚賞設計:報酬の即時性/公平性/安全性
  4. 秘匿設計漏えい検知・ログ・二重化
  5. 検証設計生間の帰還(BDA)で“言いっぱなし”を禁ず

7. まとめ

  • 先知は“人”に由来する一次情報でしか得られない――ここが用間篇の原点。
  • 五間は分業ではなく重奏神紀(全体像)を作って初めて作戦は立つ。
  • 厚賞と秘匿、仁義と微妙――“人を動かす”ための設計が肝心。
  • 次回は、五間の要(かなめ)である「反間」を中心に、報奨・保護・偽情報運用まで後半(省略なし)を読み解きます。

次回予告

第47回【用間篇(2)】反間を要にする――厚賞・保護・偽情報の統合運用(原文・後半:省略なし)
伊摯(夏に在り)・呂牙(殷に在り)という古例の意味を紐解きながら、“反間を得れば、鄉・內・死・生すべてが活きる”という用間篇のクライマックスを掘り下げます。

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