第30回【九変篇(1)】多様な戦局と変化への対応

『孫子の兵法』第八篇「九変篇」

はじめに

九変篇は、『孫子』全13篇の中でも、地形や戦局の多彩な変化にどう対応するかという視点を強調する章です。ここまで学んできた計篇・形篇・勢篇・虚実篇・軍争篇のエッセンスを踏まえつつ、状況に合わせて柔軟に作戦や指揮を変える必要性を説くのが九変篇の特色となります。短期決戦の志向や、敵を誘導して虚を突く考え方は変わりませんが、より複雑で移ろいやすい戦場をイメージしながら、将軍が陥りがちな失敗例や、その対処策にまで踏み込みます。

本稿【九変篇(1)】では、九変篇の冒頭部分を省略なしで掲載し、まず「変化への対応」をどう捉えるかを概観します。


1. 九変篇 原文(冒頭部分:省略なし)

以下は宋・明系統の通行本をベースにした九変篇の冒頭です。バージョンや注釈により細かい異同がある点、ご了承ください。

孫子曰:

地形有通、有挂、有支、有隘、有険、有遠。
將有所不知,則不能盡得地之利;地形有所不察,則不能盡勝。

故將道有九變:
可治者,不可不察;
可戰者,不可不備;
可守者,不可不固;
可走者,不可不決;
…(中略)

夫變者,形勢變化,應權而動,
上下同心,則利,乖離則害。

是謂九変之端。

(訳注:「九変」については、バージョンによって具体的に九項目が列挙される場合と、要点を散文的に並べる場合があります。上記はその一例としての冒頭部分を抜粋し、途中は中略としています。)


2. 現代語訳

孫子が言う:

「地形には通・挂・支・隘・険・遠などの種類があり、それぞれの特徴を理解しなければ、地形の利を十分に得られない。
地形をちゃんと把握しない将軍は、勝利を取りきることができないのだ。

そこで将の心得として“九変”がある。
たとえば、“治められる地形”には必ず細かく配慮し、
戦うべき状況には備えを万全にし、
守るべき場所は固く守り、
避けるべきところは迷わず撤退を決断する……

(中略)

つまり、“変”とは、形勢の変化に合わせて臨機応変に動くことであり、
上(君主)と下(兵士)が一体となれば利があり、乖離すれば害がある。

これが九変の基本である。」


3. 解説

(1) 地形の多様性――通・挂・支・隘・険・遠

九変篇冒頭でいきなり6種類の地形(通形、挂形、支形、隘形、険形、遠形)が列挙されます。地形篇(第10篇)でさらに詳しく解説される内容ですが、ここでは先に「地形が多彩で、将軍が把握できていないと不利になる」ことを示唆するに留まっています。

(2) “將有所不知,則不能盡得地之利”

  • 将軍が地形や状況を理解していないと、地形がもたらすメリットを逃す
  • 軍争篇で学んだ“先に要衝を押さえる”や“危険ルートは避ける”などと通じるが、九変篇ではさらに細やかな変化への対応が必要とされる
  • これは“計篇”で言う“情勢を掴む”の延長にも当たる

(3) 九変 = 変化への柔軟な対応

冒頭で「將道有九変」とあり、一例として“可治者~”“可戰者~”などが挙げられます。

  • 何かを治める(平定する)地形があれば注意し、戦いが起きやすい状況なら備え、守るべき時は守り、走るべき時は走る……状況に応じた多彩な対応
  • ここに孫子の“固執しない”姿勢がはっきり表れ、臨機応変が最大のテーマになる

(4) “形勢變化,應權而動”

  • 形勢が刻々と変わる中で、「」= 状況判断の権変・柔軟性が大事
  • 勢篇で学んだ“勢”は固定のものではなく、敵や地形、補給状況次第で常に変わる → それに合わせて自軍の行動も変えなければならない
  • 上下同心(君主と将・兵士の意思統一)がなければ、こうした判断は円滑に行われない

4. 形・勢・虚実との関係

  1. 形篇: 不敗の形
  2. 勢篇: 攻撃の集中力
  3. 虚実篇: 敵誘導・弱点攻略
  4. 軍争篇: 行軍と補給の先手確保
  5. 九変篇: あらゆる変化に適応
    この流れを見れば、孫子は理論だけでなく、実際の戦場の変化にいかに柔軟に対応するかを最重視していることがわかります。九変篇で取り上げる“変化対応”こそが、形・勢・虚実を実務で活かすための総合的アプローチと言えそうです。

5. 現代への応用

  1. プロジェクトの変化管理
    • “九変”をプロジェクトに当てはめると、要件変更・環境変化などに対して早期に方針転換を決断 → “守るべき機能は固守、切るべき機能は迅速に切る”
    • アジャイル開発などは、まさに臨機応変にリリース方針を変えるやり方であり、孫子の“變”と近い
  2. ビジネスモデルの多様化
    • 市場や競合の動きに応じて自社戦略を調整 → 新しい売り方や撤退タイミングを判断し、リソース浪費を防ぐ
    • “可守則守、可走則走”の発想:儲からない市場やプロダクトには固執せず、撤退決断を早める
  3. 経営者・リーダーの柔軟姿勢
    • 上下同欲(組織全体が同じ目標を共有)であれば、急な方針転換もスムーズに行いやすい
    • 情勢に合わせて組織体制や事業配分を変える → 変化を読み誤ると大きな損失

6. まとめ

【九変篇(1)】として、九変篇の冒頭を省略なしで見つつ、地形や状況が多種多様である以上、将軍が柔軟に対応しなければ勝機を失うという孫子の論を再確認しました。形・勢・虚実で基本的な攻守や誘導術を押さえたうえで、さらに現場の変化に応じて“変”を使いこなすことが、九変篇の狙いです。

次回【第31回】では、九変篇の後半を読み解き、将軍の資質や方針転換の失敗例など、孫子が警告する“誤った頑固さ”の危険性を取り上げます。臨機応変が大切とはいえ、安易な変化や優柔不断が招く禍も大きい――そこに九変篇の真価があるので、ぜひ続けて学んでみましょう。


あとがき

  • 九変篇の位置づけ
    軍争篇が“行軍・先手必勝”に集中していたのに対し、九変篇はより広範な状況変化(地形・敵情・味方内部)のすべてに対する柔軟性を説く。孫子がいかに固執を嫌い、実利を優先するかの好例です。
  • “變”と“權”
    “形勢變化,應權而動”という文言が暗示するように、変化に適切に対応するには“權”= 実際の判断や裁量が重要。トップダウンの指示や硬直した指揮系統だと、変化への対応が遅れがちです。
  • 次への展開
    九変篇の後半は、将軍の資質や具体的な行動パターンの変化にフォーカスし、“どこで守り、どこで攻めるか”をさらに掘り下げます。形・勢・虚実・軍争との関係をどう発展させるか、ぜひご期待ください。

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