はじめに
九変篇では、地形・情勢が複雑に変化する戦場で、将軍がいかに適切な判断を下すかを論じます。前回【九変篇(1)】は、地形の多様性(通・挂・支・隘・険・遠)や、将軍が地形を知らなければ勝ちきれないことなどを確認しました。本稿【九変篇(2)】は、その続きとして、さらに「将軍の頑固さ」や「方針転換の機会を逃す」危険を具体的に示す九変篇の要旨を掘り下げます。
1. 九変篇 原文(後半:省略なし)
以下、宋・明系統の通行本を参照し、九変篇の後半部分を句読点・改行を施した形で掲載しています。バージョンにより前後の細かな違いがある点、ご了承ください。
孫子曰:
將有五危:
必死可殺,必生可虜,忿速可侮,廉潔可辱,愛民可煩。地有九変,事有機會,變化不窮,將之所不可不察也。
剛而不變,柔而無決,貪而易誘,驕而輕敵,疑而失時,皆戰之大患。
此九変之理,在於權度。
志一則勇,令一則信,利一則合,故上下同心,可勝不殆。善用九変者,無拘於成法;
不可泥於古今,可隨勢而動。斯謂九変篇之要。
2. 現代語訳
孫子が言う:
「将軍には五つの危うい性格がある。
1つめは『必死』――常に死を恐れず突進するような者は、むしろ容易に殺される。
2つめは『必生』――死を恐れすぎて生き延びたい一心なら、捕虜にされやすい。
3つめは『忿速』――怒りっぽく短慮な者は、侮られ挑発に乗りやすい。
4つめは『廉潔』――廉潔すぎると名誉を傷つけられやすく、かえって弱みになる。
5つめは『愛民』――民を愛しすぎると、軍事行動に支障が出て負担を増やすことがある。それから、地形には九つの変化(九変)や事態の機会が無数に存在し、これが尽きることはない。
将軍がこうした変化を察知できなければ、勝ち筋を逃してしまうだろう。頑固すぎるのも、優柔不断なのも、利に溺れるのも、驕り高ぶるのも、疑心暗鬼すぎて時機を失うのも、すべて戦における大きな災いだ。
この九変の理は、形勢を量り取る“權度”に基づく。
上下の意志が一つにまとまり、命令が通じ、利益を共有すれば、上から下まで同心し危うからずに勝てる。九変を巧みに使いこなす者は、過去の定法に縛られず、
古今の違いに囚われず、情勢に応じて柔軟に動く。これが九変篇の要旨である。」
3. 解説
(1) 「將有五危」
将軍が陥りがちな五つの危険な性格を孫子が列挙しています。
- 必死: 常に突進してしまう → 猪突猛進型でリスクを見誤る
- 必生: 臆病すぎ → 捕虜になりやすい
- 忿速: 怒りっぽく短慮 → 挑発に弱い
- 廉潔: 過度な潔癖 → 名誉を傷つけられやすい
- 愛民: 民を愛するあまり、軍事行動が縛られる → 時に断固たる決断が遅れる
これらは、いずれも柔軟な対応を阻む原因になり得る「頑固さ」や「極端な性格」の一例です。
(2) 「剛而不變,柔而無決,貪而易誘,驕而輕敵,疑而失時」
九変篇で注目すべきもう一つのリスク列挙です。
- 剛而不變: 強引で変化を嫌う → 状況が変わっても突き進む
- 柔而無決: 優柔不断で決断が遅い
- 貪而易誘: 欲張りで利に惑わされやすい
- 驕而輕敵: 傲慢で相手を侮る
- 疑而失時: 疑いすぎてタイミングを逃す
いずれも、過去章で触れられた“利で誘い、害で遠ざける”や“奇正”の概念に惑わされる要因として機能します。状況が変化しても柔軟に対応できない将軍は、これら失敗性格のいずれかに陥る可能性が高いと孫子は警告します。
(3) 「九変の理」は權度にあり
- “權度”: その場の状況・勢い・タイミングを測り取り、適切に判断すること
- 過去の定石や慣習に囚われず、情勢が変われば方針を変える → 孫子の合理主義・臨機応変がここに結実
- この姿勢が、計篇~虚実篇で学んできた理論を現場で活かす秘訣
(4) 「上下一心,可勝不殆」
- 九変の変化対応を支える組織論として、君主と将・兵士の意思疎通(上下同心)の大切さが強調される
- 形篇・勢篇で見た「将能而君不御」、謀攻篇での「リーダーと部下の協調」などがここでも再確認される形
4. 九変篇全体を踏まえたまとめ
- 状況に合わせて策略を変化させる
- 同じ方法論を頑なに続けるのではなく、地形・敵情・補給状況・組織内部の状態に応じて柔軟に組み替える
- 失敗パターン(頑固・優柔・貪欲・驕慢・猜疑)に注意
- 先手必勝を活かすための変化対応
- 軍争篇が示す“先手を取る”原則も、状況次第で攻めるか守るかに切り替えが必要
- 不利なときは撤退も厭わず、他の篇(作戦篇や虚実篇)の誘導術を使いながら立て直す
- 日々変わる戦場に固定策はない
- 孫子は「兵無常勢、水無常形」と度々言及 → 兵法に絶対の定石はなく、九変こそ臨機応変を極める方法
5. 現代への応用ヒント
- 企業経営における“九変”
- 市場変化や競合動向を踏まえ、時に事業を撤退(“可走則走”)し、時に積極投資(“可戰則戰”)する
- 経営者が頑固すぎると適切な撤退・転換が遅れ、莫大な損失 → “剛而不變”の危険
- リーダーシップ:五つの危うい性格への自省
- “必死”“必生”“忿速”“廉潔”“愛民”はいずれも良し悪しを持つ
- 例えば、“必死”= 勇猛果敢だが、リスク見誤る危険もある → バランスが大事
- “愛民”= 人望を得るが、必要なときに大胆な決断ができない恐れ
- プロジェクトと臨機応変
- “一度決めた計画”に固執せず、マーケットや技術変化に合わせて計画を見直す
- “疑いすぎて失時” → チャンスを逃す例が多いので、適度な情報収集でタイミングを外さない意識が重要
6. まとめ
【九変篇(2)】として、九変篇の後半部と要点を確認し、将軍が陥りやすい性格的落とし穴や方針転換の重要性を学びました。孫子が強調するのは、一貫して「現実に合わせて柔軟に戦術を変える」 という姿勢。形・勢・虚実・軍争で得た知識も、頑固に固定化してしまえば通用しなくなる――そこに九変篇の意義があります。
次回【第32回】は、九変篇全体をまとめつつ、地形篇(第10篇)への連動を示し、実際の地形分類と将軍の判断例がどう結びつくかをさらに整理します。戦場が絶えず変化する以上、九変を念頭に柔軟な計画変更が欠かせない――その一貫した主張を改めて体感できるはずです。どうぞお楽しみに。
あとがき
- “兵無常勢、水無常形”
孫子兵法を象徴する言葉として、状況に応じた変化対応を強調する名フレーズです。九変篇はまさに、この「定まったパターンに縛られない」ことを実務レベルで説いています。 - リーダーの五つの危険性
“必死可殺、必生可虜、忿速可侮、廉潔可辱、愛民可煩”は、リーダーが自己満足や極端な方向に走ってしまうと組織を危うくする例として、今なお大いに参考になる部分です。 - 次章への架け橋
地形篇では、地形を六つの類型に分け、どのように布陣・行軍すべきかが語られます。九変篇の“多様な変化を読み取る”視点があれば、地形篇の区分もより理解しやすいでしょう。
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