第26回【虚実篇(3)】虚実の総括――形・勢・虚実の三位一体

『孫子の兵法』第六篇「虚実篇」

はじめに

虚実篇は、「相手をどう誘導し、弱点(虚)を突くか」を具体的に示す章でした。計篇から勢篇にかけては、自軍の不敗態勢や攻撃の加速(形・勢)を主眼に置いていましたが、虚実篇ではさらに敵軍を翻弄する要素が加わり、兵法の「詭道(きどう)」がより立体的に展開されます。

本稿【虚実篇(3)】では、虚実篇全体のエッセンスをもう一度総覧し、形・勢・虚実という三つの柱をどう活かせば最小限の力で最大の成果を得られるか――『孫子』ならではの合理的戦術の全体像を再確認します。


虚実篇の要点

(1) “虚を突き、実を避ける”

  • 敵が堅固に備えている所(実)は無理に攻めない
  • 敵が弱く、または油断している所(虚)を狙う
  • このやり方なら、兵力の差や装備の差を最小化し、最小限の消耗で勝利を収めやすい

(2) “利”で誘い、“害”で遠ざける

  • 敵にとって魅力的なエサ(利)を提示して、都合のいい場所へ誘導する
  • 危険やデメリット(害)を匂わせ、来てほしくない場所に敵を近づけさせない
  • 結果、敵は意図しない場所で戦わされ、得意な陣形や地形を活かせなくなる

(3) “形人而我無形”

  • 敵には自軍の“形(配置や意図)”を見せつつ、実際には違う狙いを秘匿する
  • 敵は対処せざるを得ず、兵力や注意力が分散する → 自軍は一点集中しやすい
  • 自軍の真の狙いや全容は「無形(姿が見えない)」にしておく

(4) 主導権を奪い、相手を動かす

  • 虚実篇では、“自分は楽(佚)で、相手は疲(勞)”の状況を作ることが再三強調される
  • 先に戦場を確保(形篇)し、勢い(勢篇)を蓄えておけば、敵を誘導する余裕ができる
  • 結果、相手は守備一辺倒か、誤った攻めに回るほかなくなる

2. 形・勢・虚実の連動

(1) 形篇×勢篇×虚実篇

  • 形篇: 不敗の守りを先に作る(“形”)
  • 勢篇: 攻撃時に一気に加速し、短期決戦を狙う(“勢”)
  • 虚実篇: 敵に錯覚を与え、弱点(虚)を突く・強み(実)は避ける。
    これら三篇を合わせて理解すると、防御〜攻撃〜誘導という孫子兵法の一連の流れがより鮮明になります。

(2) “自軍は形を固め、勢を用い、相手には虚を残す”

  • 自軍は「形」で確実に負けない状態 → 必要なときに「勢」の爆発力
  • 相手には「利害」を提示して“形”を崩し、“勢”を発揮させないまま疲弊させる → 自然と“虚”が生まれる
  • そこを奇策で突き、一気に勝負を決める → “戦わずして勝つ”に近い形

3. 現代への応用事例

  1. 企業競争:差別化の戦略
    • : 自社の得意分野(技術・ブランド力)を盤石にし、競合が攻めにくい土俵を作る
    • : 新商品やキャンペーンで一気に市場を盛り上げる
    • 虚実: 競合にわざと“偽情報”や“誘導”を与え、資源を分散させる間に本命商品を投入
  2. マーケティング・顧客誘導
    • “利” = 割引・特典で特定の商品ラインに誘う
    • “害” = 競合製品のデメリット(リスク)を匂わせて回避させる
    • 自社商品(虚)= 競合が備えていない領域 → 短期にシェア奪取
  3. 交渉や外交:相手の盲点をつく
    • 強硬策(実)で相手が必死に守る間に、別のチャンネル(虚)から本命の話を進める
    • 相手の同盟関係やリソースを把握し、切り崩しにかかる
    • 物理的な攻撃ではなく、情報や心理を操作して争点を分散させる手法

“戦わずして勝つ”の実装版

虚実篇は、謀攻篇で述べられた「戦わずして勝つ」理想を、より実務的・戦術的に落とし込んだ内容とも言えます。

  • 謀攻篇が大づかみに「戦わなくても勝てるならそちらが最善」と説く
  • 虚実篇が「どうやって相手を騙し、弱点(虚)を作り、実を回避しつつ相手を動かすか」を具体化

結果、大規模な正面衝突を避けながら相手に消耗を押し付け、自軍は楽に勝利を得やすい。まさに孫子兵法の詭道が集約された章といえます。


次章(軍争篇)への展望

(1) 虚実篇が終わり、次は軍争篇

第7篇「軍争(ぐんそう)篇」では、行軍や地形、先手を取るための移動戦術などが本格的に論じられます。

  • 虚実篇で学んだ誘導術は、軍勢をどう移動させ、相手より先に要所を占拠するかという軍争篇の考え方にも密接に絡んでくる

(2) 形・勢・虚実と軍争

  • 形篇で防御・準備 → 勢篇で攻撃力を集中 → 虚実篇で敵の心理と布陣を乱す
  • これらを踏まえ、軍争篇では実際の行軍ルート選択や、地形の活用によりどのように先手を取るかを実務レベルで検討する流れになる

まとめ

【虚実篇(3)】として、虚実篇の総括を行いました。形・勢・虚実を組み合わせることで、孫子兵法の合理主義――“最小のコストで最大の効果を狙う”――がより完成度を増すわけです。

  • “虚を突く、実を避ける”
  • “敵を利で誘い、害で遠ざける”
  • “形人而我無形”
  • “知彼知己”(相手の欲求や恐れを把握する)

これらを意識すれば、たとえ少数でも大勢を相手にできるし、消耗戦を回避できる可能性が高まります。次回【第27回】では、軍争篇に入り、さらに行軍や地形把握といった具体的戦術へと展開していきましょう。どうぞお楽しみに。


あとがき

  • 虚実篇=誘導戦術の精髄
    ここまで学んできた計篇・形篇・勢篇の総合応用として、敵を動かす技術を論じるのが虚実篇の醍醐味。実際の歴史でも、相手を意図的に分散させて一箇所を突く作戦は数限りなく用いられてきました。
  • “戦わずして勝つ”にまた一歩近づく
    敵に力を出させない、無力化させる方法を考えることが“不戦而屈人”の具体的実装とも言えます。謀攻篇と並ぶ、孫子の“詭道”を象徴する章として、虚実篇をしっかり押さえておくと他の章との関連も見えやすいでしょう。
  • 今後の展開
    次の軍争篇では“軍を動かす”実践的な内容が増え、地形篇や行軍篇へと繋がっていきます。形・勢・虚実を会得したうえで軍争篇に入ると、孫子兵法がいっそう総合的に理解できるはずです。

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