はじめに
はるか古代中国の春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)に編纂されたとされる『孫子』は、「世界最古の兵法書」と評されることが多い名著です。単に「戦の方法」を説くだけでなく、戦争を国家の重大事と位置づけ、情報・組織・心理など、多方面から勝利への道筋を分析しています。その思想は現代においても、軍事のみならずビジネスや自己啓発、組織運営など、幅広い分野で応用され続けています。
本連載では、できるだけ原文に忠実に、『孫子』13篇すべてを省略せずに少しずつ紹介していきます。合わせて、古文の読解に不慣れな方でも理解できるよう、現代語訳と解説、加えて現代への応用ヒントなどもご案内していきたいと思います。
原文
本来、『孫子』の本編(計篇以下)は次回以降で詳しく扱いますが、導入として特に有名な一文を先取りで引用します。
孫子曰:
兵者,國之大事,死生之地,存亡之道,不可不察也。
現代語訳
孫子は言う:
「兵(戦争)とは国家にとって重大な事項である。そこには、人々の生死がかかり、国の存亡を左右するものがある。ゆえに、これをよく検討しないわけにはいかない。」
これは『孫子』“計篇” 冒頭にあたる一節です。最初に「戦とは何か」という問いかけがあり、「それは国家の根幹に関わる死活問題であるから、よく考察する必要がある」という主張が示されています。ここから始まる全13篇のなかで、どのように戦いを「計画」し、「作戦」を練り、「謀略」を行い、勝利を手にするかが段階的に述べられていくわけです。
解説:『孫子』という書物の位置づけ
1) 世界最古の兵法書
『孫子』が編纂されたのは正確な時代がはっきりしませんが、春秋末期から戦国時代にかけて成立したと考えられています。ヨーロッパには『クラウゼヴィッツ』の『戦争論』(19世紀)などの有名な軍事理論書が存在しますが、それよりも遥かに古い時代に、しかも驚くほど体系的な「戦争論」が示されていた点が特筆されます。
2) 著者「孫武」について
『孫子』の著者とされる「孫武(そんぶ)」は、呉の王・闔閭(こうりょ)に仕えた将軍だったと伝えられます。その生涯の実像については文献が少なく、史記などにわずかに記載があるのみです。実在の軍略家だったかどうか、複数の人物の思想が集約されたのではないか――など、諸説あります。しかし、いずれにせよ長い歴史のなかで磨き上げられた兵法書であることは疑いありません。
3) 後世への影響
- 東洋の兵法書としての系譜
中国では孫子以降も多数の兵法書が著されました。例えば『呉子』や『司馬法』、『六韜』などです。そのなかでも『孫子』は軍事思想の頂点とされ、多くの将軍や統治者が座右の書として研鑽を積みました。 - ビジネスや経営への応用
戦争そのものはもちろん好ましいものではありませんが、人間や組織が「勝利」を目指す構図には普遍的要素があります。情報戦、リーダーシップ、戦略的思考など、『孫子』に示されたエッセンスは、現代の企業戦略やマーケティングにも通じるところが多分にあります。
4) 本連載の進め方
- 13篇を全て省略なく紹介
本連載では、『孫子』に収録されている全13篇(計・作戦・謀攻・形・勢・虚実・軍争・九変・行軍・地形・九地・火攻・用間)を、一章ずつ丁寧に読み解きます。 - 原文→現代語訳→解説の流れ
各回で扱う範囲の原文と、その対照となる現代語訳を掲載し、重要なキーワードや背景事情を補足解説していきます。 - 連載200回程度を予定
分量の多い兵法書であり、1回あたりの範囲を少しずつ区切りながら進むため、合計で200回前後の連載となる見込みです。必要に応じて、古注(古い時代の注釈)や現代における具体例・ビジネス応用などもコラム的に差し込みます。
まとめ
今回は『孫子』という書物がどのような位置づけにあり、なぜ今なお世界中で読まれ続けているのか、その大まかな背景を紹介しました。次回からの連載でも、単なる兵法書として読むのではなく、現代社会にも通じる豊富な示唆を汲み取っていきたいと思います。
次回(第2回【序章(2)】)では、著者とされる「孫武」という人物像について、史記などに残るエピソードや伝説、学説などを紹介しながら、彼の足跡に迫ります。ぜひお楽しみに。
あとがき
- 参考文献について
本連載では複数の底本(原文テキスト)と注釈書を照合しながら訳を進めますが、各種の版本や注解は細かい異同があることがあります。あくまで参考程度に捉えていただき、ご自身でも別の訳や解説を読んでみるとより理解が深まるでしょう。 - コメント・質問大歓迎
わかりにくい用語や、もっと掘り下げてほしいテーマなどがあれば、コメントやメッセージなどでご意見をお寄せください。可能な範囲で補足記事やQ&Aを取り上げたいと思います。
これから始まる長い連載ですが、どうぞお付き合いいただければ幸いです。
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